ボイストレーナーのJUNです。
今回は、私自身が経験した発声障害について、その体験と克服までの過程を記事にしました。
発声障害がどんなものなのか、発症する原因は何か、その克服法はどんなことがあるのか。
などについて綴ってみました。
目次
始めの違和感
私は音楽大学で声楽を学びました。
忘れもしません。
大学1年生の初めての歌の実技試験の時のこと。
「完璧な歌を歌おう。」
そう思い、自分なりに準備をしていました。
しかし、いざ自分の番がきて歌いはじめると…
喉が何かに掴まれたようになり、音程や声質が全くコントロールできない。
とても自分の喉とは思えない。
およそ歌としては成立しいない声が、自分の予想に反して発せられました。
その時は、極度の緊張と努力不足が原因だろうと思いとても反省しました。
しかし、これは反省や努力でどうにかなるものではない病気で、そのことに気づくまでに私は10年以上に渡って悩み苦しみ続けることとなるのです。
私は高校2年生の夏から、志望する大学の先生のところへレッスンに通うようになりました。
身体を使って歌うことが大切で、鍛えなくてはならないということで、レッスンでは、ひたすら腹筋に負荷をかける動作をしながら歌ったり、鉄アレーを持って歌わされることもよくありました。
大学4年生ぐらいには、もはや歌うこと自体が苦しくて仕方ありませんでした。
やればやるほど全く声が出ないという日々。
それもそのはず。それが悪化をさせる原因だったから。
そんな事に気づかない私は、自分の努力不足と思い、努力しちゃいけないところに努力を重ね続けていたわけです。
今ほどインターネットも普及せずYouTubeもない時代。
本を読んでもわからないことばかりの中、先生のいう事を信じる事が全てという狭い世界に居ることで安心しようとしていた。
強い思い込みにより努力の方向を間違っていたかもしれません。
痙攣性発声障害Spasmodic Dysphonia
痙攣性発声障害は声のジストニアと言われています。
最近では、芸能人で公表される方も増えてきました。
歌手の伍代夏子さんが公表されたことでも話題となりました。
以下、伍代夏子さんのインタビュー記事の一部を引用させて頂きます。
「ジストニアとは、意思と無関係に筋肉が収縮してしまう病気で、指令を出す脳の過活動によって起こる、と言われています。症状が全身に出るタイプと、字を書こうとすると手が震えて書けなくなる『書痙(しょけい)』などの局所的なタイプとがあり、私は後者。症状の出る部位はさまざまです。ただ、ギタリストなら指先、ピッチャーならボールを握るほうの手、という具合に、その人にとって命の次に大事なところに出る傾向があるんじゃないでしょうか。」(『婦人公論』2021年4月27日号より)
伍代さんが痙攣性発声障害を公表したことにより、同じ病気で悩む人の中には、勇気をもらったという方も多くいることと思います。
命の次に大事なところ
『その人にとって命の次に大事なところに発症する』
この病気は、声を出す事を意識する人が発症しやすい傾向があるようです。
学生時代の私は先生に「イタリア人のように喋りなさい。」
と言われ、声を出すことを強烈に意識する日々でした。
しかしそれは、自分本来のオリジナルの声のポジションを身につけるのではなく、自分とは違う他の何者かを目指していたわけです。
それでは、いつまで経っても声は自分のものではないので、声は不自由になります。
心と身体がバラバラなわけです。
感情など込めようもありません。
発声障害の原因は様々ですが、私の場合を振り返ると原因はその辺りから始まったと考えています。
その先生に習ってた人が全員そうなったわけでもないため、全ての原因として断定はできません。
しかし、思い起こすと習ってた先生の生徒の中に同じ症状の先輩が何人か居たのも事実です。
イタリア人ではない。私は私
オペラの場合、イタリア語と発声の関係は密接です。
イタリアの文化やコミュニケーションの取り方と、イタリア語のもつ発音の特徴を理解して取り組むと喋り声は自ずとイタリア語のポジションに変わります。
イタリア語の会話のポジションが声楽発声のフォームのベースとなるのは間違いないと思います。
これは、他の言語、ジャンルで歌う時も基本は同じです。
その国の言語の発音が歌唱時の発声に大きく関係しています。
自分のオリジナルの声を知る大切さ
自分の声を生かすことからスタートし歌で求められる様式と結び付けることが健全で自分らしい歌を歌うことにつながります。
また、呼吸も様々な考え方がありますが、喜怒哀楽の感情を拡大するきっかけの働きとして捉えると、自分のオリジナルの声から必要な声質にも結びつけやすい。
大きい声を出すための呼吸練習という意識では、心と声の結びつきはあまりよくなく、音楽的ではなくなる危険が潜んでいます。
出てくる声はどこか他人事のような自分の心からの声には聴こえません。
立派な声にはなるかもしれませんが、感動するかはわかりませんし、その声で何年歌い続けられるかもわかりません。
そもそも私たちが感動する声の豊かさは、音声学的に見てもデシベル単位で測るだけでは見えて来ません。
自分の器から極端にはずれた声を追い求めるのは無理な声を強いる可能性があります。
声量は、声帯、共鳴、息のバランスが整うと増幅します。
このバランス変化で声楽的になったり、ポップス寄りになったりと調整をしていきます。
当然、根性論で身につけるものではありません。
正しくトレーニングしているかどうかが大切なのです。
中には元々の声が良く何となくの感覚で上手に歌える人もいます。
でもその人がその先何十年とトレーニングをせず安定した声で歌い続けられる保証はありません。
自分の声を取り戻す
私は自身の発声の悪さを克服したくて先生を探し歩きました。
何人かの先生が、それぞれヒントとなる事を教えてくれました。
声を探らない
構えない
成り行きにまかせる
身体全体を繋げて、無理のない出し方をすること
そして、決定的に改善されたトレーナーにたどり着きます。
何が良かったか。あくまで私の場合です。
声帯を厚く使う事を改善したのです。
ここには、声が健康的になるための秘訣が多く含まれています。
本来あるべきバランスを良くする事を最優先にしているのです。
つまり、声楽っぽい、とか、ポップスっぽい、というカテゴライズをしない、自分本来の声を探すトレーニングから出発することです。
ニュートラルなポジションが身についていればこそ、クラシックもミュージカルも洋楽も歌える発声になるのです。
声を使う頻度の高い人(教員、接客、俳優、声優、ナレーター、アナウンサー、など)で特に感じの良い声、キャラクターを作るといった、ことで声に負荷をかけ続けていると本来の自分の声を見失い、不調の原因になります。
私自身はポップスを歌うボイストレーナーに習って、声の震え、話し方が改善されていきました。
そしてちょうど同じころ、痙攣性発声障害というワードを目にします。
その症状の方の音声を聴いて驚きます。
これは、私と同じ症状じゃないか。
そこから、様々に調べ始め現在に至ります。
自身が痙攣性発声障害と気づいた時には、症状は改善されていたのです。
悪化の原因と思われたこと
しかし、完全ではなかったため、自身の原因を理解したことで、より改善する取り組みを積極的に行えるようになりました。
自身の原因と思われたことを書き出してみました。
呼吸の力みをとる
顎の食いしばりを改善させる
舌にに力が入る
呼吸に力が入る
声を分厚く使う
自分の声を探り確認しながら話したり歌ったりする
声が鳴ってないと不安で鳴らそうとする
腹筋や背筋
肩の過緊張や凝り
解決策
呼吸の改善、声帯の使い方の改善。これがメインです。
その上で
大人数や賑やかな所で無理に大声で話し続けることは避ける。
鍼灸での治療を受ける。
睡眠をしっかりとる。
締め付けの強い服を着ない。
同じ姿勢で長時間座り続けるなどで身体を固めない。
こういった習慣の改善が間接的に改善を助けてくれたと感じています。
また、全身の筋肉をスムーズに動かせることで声の働きを健全にするために、パーソナルトレーニングも受けました。
筋トレというより、筋肉が正しいフォームで動かせるようになるためのトレーニングです。
それにより、日常生活で自身が不必要に力んでいることや、体の働きが弱いところを見つけます。
そのことが声の安定性を高めてくれました。
自然治癒は難しい
痙攣性発声障害の治療法は様々です。
ボトックス注射や、チタンブリッジ手術療法もあります。
音声外来で診察を受け、医師と相談しながらライフスタイルに合わせた治療法を選択することが大切です。
しかし、明確な治療法が確立されていないのも事実です。
そこで、私自身も民間のボイトレ領域での改善の道を探りたいと思っています。
原因が解明しきれておらず、自然治癒も難しいとされており、一筋縄ではいかないことがほとんどです。
しかし、その苦しみがわかるからこそ、改善したからこそできることがあると信じています。
自身の声を実験台にしながらさらに勉強を重ねたいと思う日々です。
ということで、今回は発声障害について綴ってみました。