ボイストレーナーのJUNです。
今回は、発声の事ではなく、あらゆる音楽と歌を愛する人と一緒に考えていきたいと思う事について記事にしてみました。
音楽の道とは
はじめに音楽の道と書きました。
音楽の道というと、プロになることを指すと思います。
果たしてプロの定義とは一体なんでしょうか。
例えば歌手ならライブや音楽配信などで収入を得ている人の事を言うのでしょうか。
作曲家なら、曲を作る事と、楽曲の印税のみで生活している人を言うのでしょうか。
歴史をさかのぼると、ヨーロッパ の芸術家にはパトロンと呼ばれる出資者がいました。
いまでいうスポンサーですね。
現在の日本でも知名度のあるアーティストにはスポンサーがいます。
いまの日本でスポンサーがつくのは、音楽をやっている人たちのほんの一握りでしょう。
では、スポンサーがいない、ライブや音楽配信、印税のみで生活していなければ、プロとは言えないのでしょうか。
少し考えるとわかりますが、音楽の仕事は、実に様々です。
私はボイストレーナーなので、歌に限定して言うと、歌う仕事もたくさんの場面があります。
劇伴といって、ドラマや映画などで使用する音楽、ゲーム音楽やCMで使われる音楽、仮歌といって、実際のアーティストのレコーディング前のデモ音源として歌を入れるなど、スタジオでの仕事があります。
また、有名アーティストのコーラスとしてツアーに帯同することもあるでしょう。
その他、地域のイベント、結婚式など、テレビや劇場、ライブハウスだけじゃない、仕事の場所があります。
プロとはどういうことか
世間は、テレビに出てはじめてプロという認識を持つかも知れません。
しかし、どの場所であってもお金を頂いてパフォーマンスをしている以上プロなのです。
そして、今はYouTubeを始めとした動画配信によって、プロアマの境い目がなくなりつつある時代となってきました。
そもそもプロになれないから音楽を続けたらダメなのか。
そんなことはありませんよね。
生活をしなくてはならないから、就職をするべき、というのは選択肢として当然です。
しかし、これからの時代、ますます働き方は多様化していきます。
むしろ一箇所の仕事だけじゃないほうが良い面もあります。
それから、現代は失敗も含めて経験がコンテンツとなる時代です。
失敗も単なる辛い思い出ではなく、その人の個性として武器にすることができます。
音楽は懐が広い世界です。
ですから、それぐらいの広い視野に立ったほうが音楽そのものを継続していけます。
好きで継続した人は道がひらける
音楽は継続できる環境づくりがとても大切です。
創作活動であれ、練習であれ、まとまった時間をとって一気に行おうとするより、毎日少しずつの方が力になります。
それから、私自身がそうですが、教える仕事をしている人も多くいます。
教える事とパフォーマンスする事は別の要素が必要ですが、両方に取り組む人は多いです。
歌だけでは生活が出来ないから、仕方なく教えている、というネガティヴな受け止めかたをする場合もあるかもしれません。
しかし、ボイストレーナーに誇りを持って仕事をしている方は沢山います。
ボイストレーナーの多くはシンガーの経験があります。
始めはシンガーを目指してたかもしれない。
けど途中からボイストレーナーになった、というのはネガティブな事なのだろうか。
シンガーを目指したなかで必死に取り組んで来た事が、ボイストレーナーの仕事に活かされているとするならば、無駄なことは何もない。
あくまで、シンガーからボイストレーナーというのは、1つの例に過ぎなくて、自分が目指した目標に必死に取り組むと、そこから自分にしかできない何かを見つける事がある。
それが当初目標にしてた事と違ってもいいじゃないですか。
でも、これは必死に取り組んでいなければ見つからないかもしれない。
アートかエンタメか
音楽はアートなのか、それともエンターテイメントなのか。
これは音楽とどう関わっているか、その立場によって変わってくるでしょう。
私自身、仕事に直結しないような自分の興味のある音楽分野を掘り下げることもあります。
それは私にとってのアートな探求なのかも知れません。
しかし、お仕事ととしてそれが全く活かされないかというとそうとも言えません。
音楽をクリエイトすることとエンターテイメントが結びつかないこともあるでしょう。
そこも、自分自身が何を求めているのかによります。
そもそも、表現したい気持ちに突き動かされている人はそんなことも考えないかも知れません。
出来ない理由を考えるより、とりあえずやってみる
ここまで、取り止めもなく書きましたが、もっとも言いたいことはなにか。
才能がないから、とか、ほんのひと握りの人間しかできないんだから、と周りから否定的な事を言われたとして、それを真に受ける必要はないということです。
そうではなく経済面で生活できるかの不安が強い人は、プロにこだわらなくても良いのではと思います。
自分に才能がないと思う場合、もしかしたら自分に何かが足りないと既に気づいているのかも知れません。
そしたら、まず足りないものを埋める努力をすればいい。
始めてもいないのに、才能がないと思うならば、それは本当に才能がないのかを一度確かめてみるべき。
人生の目的が幸せになることにあるとするならば、本当に幸せかどうかは人が決めることじゃない。
あなたが幸せかどうかはあなたにしかわからない。
だからもし、あなたのためを思って、なんて言いながら、あなたが不安になってしまうようなネガティブな事を言ってくる人の言葉は信じる必要ないのです。
その人はあなたの人生の責任を取ってくれるわけではありません。
たとえ親であっても。
たとえば、あなたが誰かにレッスンを受けていて、その先生がコミュニケーションが一方的で、自分の感じたことを質問しにくい雰囲気の場合は、あなた自身が納得していれば問題ないが、レッスン内容が良くてもあなたの才能の芽を知らず知らずのうちに積んでいるかも知れない。
レッスンの指導内容に人格否定が混ざっていたら聞く必要はありません。
レッスンを納得できるかどうか、自身の課題や練習方法を理解できているか
これは、生徒側の主観も入ってくるため、難しい部分でもある。
大事なことは、音楽や技術などのスタイルを学ぶことが、あなたの中にある表現の自由を奪うものであってはいけないということ。
レッスンを受け、練習を積み重ねるほどに、自由になること、あなたらしさが、よりハッキリと浮かび上がってくるものでなくてはなりません。
これは、どんな音楽ジャンルにおいてもです。
指導者によって、レッスンがその人の技術を悪化させたり、個性を失くすリスクがあるのです。
指導者自身の技術の押し付け、表現へのこだわり、それゆえの人格否定…ここまでくると継続しても良い事はない。
型を学ぶ事は大切です。
型があるからこその自由というのがあります。
また、自分がどうなりたくて、何を目指しているかによります。
歌に関しての話になりますが、発声に関しては、音声学や音響学、解剖学に基づいたメソッドがいくつかあり、声に大きなトラブルがない限りは、どんな人でも健康的に自由な声を手に入れる事ができます。
トレーナーの言われた通りにやる、というのが効果的な面が事実あります。自己流で声を壊す事もあります。
決めるのはいつだって自分
しかし、最終的にどんな音楽をしたいかを決めるのはいつだって自分自身だということを忘れないでください。
あなたの中には、未だ誰も気づいていない素晴らしい可能性が眠ってるかも知れません。
それを必要としてくれる人が世界のどこかに待ってると思ってください。
自分は本当はどうしたいのか、悩んでいる人は、いちど自分の気持ちと向き合って、自分に素直になり、自分の可能性を信じる事から始めてください。
すると、寝るのももったいないぐらい、自分がやりたいことに熱中できるようになって、自分の新しい一面を発見することができます。
そうなればしめたものです。